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日本語教育クラスタ 2026年
2026年概観
制度化は進む…
2010年代の日本語教育改革は何だったのかを大雑把に言うと、それまで留学は日本語学校まかせ(主に法務省が監督)、その他は、地域の日本語教室(文化庁は見てるだけで管理は県庁や市役所のの天下り組織である国際交流協会が監督。使える予算は100万円程度)まかせだった日本語教育を大学の日本語教育関係者(文科省)が主導権を握って制度(日本語教育推進基本法)も教え方(日本語教育の参照枠)もコントロールするようになった、ということだと思います。
2020年以降、国の日本語教育の会議には大学の日本語教育関係者によって組織されることになりました(除就労系の有識者会議)。大学の日本語教育関係者は、大きな権限を手に入れました。教師育成は、教授法では、従来の方法ではないやり方に転換(文型シラバス→タスクシラバス)することで、ノウハウのギャップを埋め(語学教育で最も重要な初級から上級あたりまでのノウハウも経験も日本語学校のほうが圧倒的に多かった)、一方で、多文化共生を制度と育成の理念的な柱にして進めることになりました。これらの動きをふまえて、2010年代後半から、教師育成、多文化共生、制度研究、就労、生活の日本語教育、みたいな論文が増えました(検索すればわかりますが、2010年代半ばまではほとんどありませんでした)
大学の日本語教育関係者は、一般の日本語教師を育成する「武器」がないと生き残りが難しくなりましたが、トータルでは、大学の日本語教育関係者が仕事をする場は圧倒的に増えたと言われています。一般学生への多文化共生の授業は2010年代に増大し、いわゆる教職でも日本語教育の項目が増えそうです。
日本語教育クラスタの肩書き強めの人達は、2010年代後半から、修士号の取得、博士号まで進む、という方向を向き始めました。SNSでも、日本語教師育成を担う資格があるという者である的なブランディングにジワリとシフトチェンジしつつあります。2020年代に入って、SNS上では、日本語学校や地域の日本語教師の教師達の勉強不足や多文化共生の意識の低さを嘆くみたいなトーンの投稿が増えました。クラスタのサロン化(特権的な人達のおしゃべりの場くらいの意味です)みたいなものが進んでると思います。一般の日本語教師の人達にとって楽しい場なんでしょうか?
日本語教育クラスタのエコーチェンバー化は進む
日本語教育クラスタは、他の教育関係のクラスタと較べると一般の教師の試行錯誤が投稿されることは極端に少ないです。その理由は2つあると考えています。
- 離職率が高く、民間の日本語学校の経営が不安定なため、5年くらいまでの新人と、長く続けている超ベテランで構成されており、試行錯誤ができるレベルに到達した質の高い議論ができる中間層(経験10~20年)が圧倒的に薄いこと(ほぼ初心者の質問にベテランが答えるやり取りがほとんど)。
- ここ10年ほど、具体的な実践を投稿しても「それはシラバス、教授法 が古いからだ」という理屈で雑にまとめて扱うタイプのアカウントが多いこと。
です。1の傾向は国家資格になっても待遇改善は進む道筋は見えないので、それほど変わらず、2は、国の政策によってシラバスの方向性が決められてしまったので、問題が出てきたとしてもあと数年後で、問題が表面化しても、「それは(我々が推進した)シラバス、教授法のせいではなく、やり方がダメだからだ」と言うでしょうから、これも、変わらないと思います。10年後(2035年ごろ?)くらいに、2040年以降の方針の修正のため、論文などが多少出てくるかどうかではないかと思います。
暴力の時代の後半戦
2020年代に入って「本格的な暴力の時代が来たカンジがある」ということをよく知人と話します。
2010年前後から、子供向けのアニメや映画、小説、おそらくはドラマも、ほぼ前半は「悪いやつ」による酷い暴力が描かれ、その前半は後半に主人公が圧倒的な暴力を行使するための理由、説明、言い訳、になっています。そして後半は、暴力を楽しんでもよい理由が十分に説明されているので、皆、安心して主人公の正義の暴力を楽しむことができるという構成になっています。人々はみな暴力を楽しんでいる。エンタメに限らず、SNSでもなんでも、幼稚であることと、背後に暴力を匂わせることは、人気を得るための必須条件になっている感があり、「人気(=フォロワー、バズ)」は、生き残るために必須の条件として無条件で尊重される傾向も強くなっています。
2026年は2020年代の後半戦です。エンタメなら、いよいよ理屈は終わりで、暴力が全面に出てくるところにさしかかるみたいなことになります。結構ほんとに怖いなと思ってます。どう逃げようかを考えています。
今年の方針的なもの
一方で、SNS上の日本語教育クラスタは、2017年あたりから、同じようなインフルエンサー的な人達が同じようなことを、居酒屋談議的に投稿していて、これまでの記録だけでも、もう十分かという気もしてます。新しい制度のほうは、省庁主導ですから、どう(悲惨なことに)なっても多分成功したことになりそうで、ここも、もうイチ個人にできることは何もないなと感じます。
記録は、時間がある時はやります、くらいのスタンスで、細々と続けていきます。
1月
日本語教育学会の新年の挨拶
おそらく日本語教育学会が25年の外国人問題について言及した最初の文章だと思います。
新年のご挨拶 2026年新春|お知らせ|日本語教育学会 https://www.nkg.or.jp/news/2026/2026_01_01.html
https://drive.google.com/file/d/1FgefBIYvS53o5t5D3RSraz1Sw4TJNRGE/view?usp=sharing
努力目標?
コミュニケーションは、双方の力で成り立つもの。外国人側の日本語能力だけでなく、日本人側が相手の母語や媒介語、相手に理解しやすい日本語を使えることも大事。何事も、相手に求めるだけじゃねぇ。
— 土井佳彦 (@doiyoshihiko) January 4, 2026
外国人材受け入れ団体へ調査 8割近くが“日本語能力が課題” https://t.co/alzXr3JIzn
CEFRにとって複言語主義は理念として不可分なものだと思いますが、日本語教育の参照枠では完全に切り離されているという点、ほぼCEFRを下敷きに作ったことへの説明責任として、参照枠では複言語主義はとらないのだと言った方がいいのでは?という気がします。
日本語教育の参照枠では、受け入れ側がやるべきことのラインは曖昧にしておくことで国内の教育行政への介入を避けたという印象です。せいぜい、やさしい日本語の普及くらいまでというコンセンサスがある?
「ご恵贈」はステマ回避にはならない
ステルスマーケティングが景品表示法違反となったのはここ数年なのでまだ「このラインを守ればOK」というものは無いと思います。これも日本語教育クラスタでは指摘する投稿は出なさそうなので補足しておきます。
何度か献本を頂いたことがあるのですが、出版社の方から「感想をSNSに投稿する際は、景品表示法のため、献本された旨を明記するかハッシュタグでPRと付けてください」と指示されるんですよね。PRというのも味気ないので「ご恵贈頂きました」などと書いてます。あの文言には法律遵守の側面もあります⋯ https://t.co/zMC65BoiqL
— 佐藤理恵子@日本語教師 (@nam_taan) January 9, 2026
- 景品表示法でステマ対策のため広告であることを明示する必要があるのは、広告宣伝の依頼があった場合。
- ステマに対するリスク回避のために文言を入れるなら「ご恵贈(ご恵投)」では不十分。
のはずです。
消費者庁「令和5年10月1日からステルスマーケティングは景品表示法違反となります」 → https://www.caa.go.jp/policies/policy/representation/fair_labeling/stealth_marketing/
消費者庁「ステルスマーケティングに関するQ&A」 → https://www.caa.go.jp/policies/policy/representation/fair_labeling/faq/stealth_marketing/
研究者の「ご恵贈」は慣習的に、また職種による特権的に見逃される可能性があるのかは不明。しかし「ご恵贈」で回避できるなら、それを研究者だとか教育関係者にのみ認められるのは不自然です。そもそも研究者の定義もないですし。出版社が無料で本を人に送るのは、現代では宣伝効果を期待したからと解釈される可能性が高いでしょう。ただし教材なら使ってみていいなら、学校などで採用してくれという試供品的な意図ならば回避できる可能性があると思いますが、それも宣伝してほしい的なニュアンスがあればグレーのはず一般の書籍で、SNS上でフォロワーもそこそこいて、という条件が揃うと出版社側が無料で提供すればステマだとされるリスクは高い。つまりケースバイケースではあります。
この場合、出版社もPRと入れてくれと言われたケースですし、本人がステマ回避のため「ご恵贈」と書いていると名言しているので、無償での譲渡には宣伝的なニュアンスがあると出版者側も本人も意識していることになり、あうんの呼吸的なものではなく、実際に宣伝してくれという依頼があった可能性もあります。それならば、「ご恵贈」は法律遵守にはならない。つまりきちんと広告だと書いて投稿するか、投稿しないかの二択しかないのでは。
出版不況の中、おそらく今の出版社は、ネットにも冊子や研究関連の場所にも投稿しないという方針の人には、無料で一般書を献本する予算は出ないのではと思います。ただし研究や教材として「採用」される可能性があるならば現場の人、教務主任などにサンプルとして配付することはあるし、宣伝を期待した譲渡ではないと証明できれば、ステマの範疇とは言えないはずです。ステマはあくまで宣伝があるかどうかなので。しかし、ステマが明確に違法になったことで、この種の「ご恵贈」をもって回避するというような曖昧なリスク回避はできなくなったと考えるべきだと思います。
しかし、数日で100万表示。 仮に、本人が訂正しても訂正投稿がバズることは無いし、返信を覗いても訂正する投稿は無いようなので、もう取り返しはつかないです。
👉 ちなみに、私どもも出版の仕事をしています。献本は、著者に完成品チェックとして1冊分のみ寄贈するだけで、いわゆる著者の方以外への献本はしてません。今後する計画はありますが、基本、教材的なものに限定で、献本の際に、宣伝不要で、もし有意義なら現場で(学生分購入して)使ってください、と明確に文言を入れてお伝えします。つまり試供品的なものとして配付するというスタンスです。ただ、感想を投稿することについて制約をつける権利は当然こちらには無いので、献本する側ができるのはここまでです。発信については宣伝目的の献本ではないと明記した上で、「発信をするならwebjapaneseから提供を受けたサンプル版を使ったものだと明記してくれ」としたほうがいいのかもしれません。しかし宣伝不要ですと明記すればこれも不要だとは思います。繰り返しになりますが、個人の感想の発信にあれこれ条件をつける権利は無いですし、批判的な投稿も気軽にしてほしいですし。
